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多摩川の企業対抗駅伝に参加して思ったこと

先日、会社のメンバーと多摩川で開催された企業対抗駅伝に参加してきた。

部署のメンバー5人で参加。僕の会社は人の出入りが激しい為、ほとんどのメンバーが出会って半年にも満たない程度の付き合い。お互いよそよそしさを隠しきれない仲だ。

 

僕は毎週末ランニングしているので、走ることは苦手では無いが、かと言って好きでは無い。むしろ走るのは辛い。体力と見た目年齢を若く保ち続けたいが為に走っているだけで、走るのが好きという感覚は無い。

 

なので、駅伝の参加も出来れば見送りたかったのだが、先々月に新しく入社してきたメンバーが思い切って提案してくれた企画なので、断るわけにもいかず参加することになった。

 

この日は東京の最高気温は32度。

真夏日真っ盛り。

www.sportsone.jp

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ランニングするにはあまりにも過酷な環境だった。

そのうえ待ち時間が長く、数時間の間炎天下にさらされてかなり体力的にしんどかった。

 

実際に、この日は何人ものランナーが救急車で運ばれていた。気温30度オーバーの環境は、我々サラリーマンランナーにとってはかなりきつい。せめて木陰を作るテントなどの用意は欲しいと思った。

 

とりあえず、やるからには全力で走ろうと思い、自分なりのフルパワーで走ることにした。

 

ところが、最初の1kmの時点で、かなりきつくなってしまった。張り切りすぎてペースを上げすぎていることに気付いた。2kmからはちょっとペースを落として、無理しないように走ったが、「これだとちょっと遅くないか?」と焦り、3kmからまたペースを上げた。そうすると、4kmから死ぬほどきつくなってしまった。

 

最後の残り1kmはまさに地獄であった。暑さで頭がクラクラする。このままだと僕も倒れて救急車で運ばれるんじゃないかと不安になった。歩いてしまおうかという思いが何度も頭をよぎった。でも、これが最後の1km。ここで歩いたらここまで走った分が無駄になってしまうと自分に言い聞かせ、何とか必死に走り切り、次のランナーにタスキを渡した。

 

走り終わった後は、満身創痍だった。しばらく立ち上がることが出来ず、しゃべることもできなかった。そして、「もう二度とマラソンなんか出るもんか」と心に誓った。

 

その後、僕のチームメンバーも全員走り切り、何とか無事完走をすることが出来た。他のメンバーも全員、僕同様にぶっ倒れる程疲弊していた。

 

その頃には僕の体力も若干回復していて、メンバーに水を渡したりと労う余裕が出ていた。

 

・・なんだろう。この同じ苦労や辛みを共有する心地良さは。

走るのは死ぬほど辛かったけど、同じように死ぬほど疲弊している仲間の姿を見ると、ちょっと嬉しい感じがするのだ。

 

一緒にマラソンをすることは、一緒に旅行をすることに似ているなと思った。

 

同じ時間に同じ空間で同じ苦労体験を共有する。それが共通の思い出になるのだ。そうなると、もはや他人ではなく、ちょっとした特別性のある仲間になる。一緒に旅行をしたことのある友達は歳をとっても仲が良い。一緒に旅行をした仲というのは、ちょっと特別な関係なのだ。それと同じことを、今回の企業対抗駅伝でも感じた。

 

ちなみに、この日の駅伝の写真をインスタグラムにアップてみたのだが、この駅伝に参加した見ず知らずの人たちもたくさん「いいね」をしてくれた。同じ空間で同じ体験を共有した人は、みんな仲間になるのだと思った。

 

僕は昔から集団行動が出来ないので、誰かと一緒に旅行をするような経験がほとんど無いのだが、若いうちからもっと旅行をすれば良かったなと思った。マラソンも辛いけど、食わず嫌いせず、出来るだけこういう企画には参加するようにしようと思った。