人材派遣会社で営業をやっていたときの仕事と給料の話
僕が新卒で最初に入った会社は人材派遣業の会社だった。
就活では一通りの業界・会社は見たけど、金融や広告、不動産、商社などの人気業界は確かに安定していて給料も良いのだが、志望する学生のレベルはやはり高く、僕が運よく入れても出世するのは大変そうだと思った。なので、ちょっとニッチな業界に目線を映して、目に留まったのが人材派遣業界だった。
僕が人材業界を選んだ理由として、当時は派遣が解禁されていて業界がグングン伸びているところであり、将来性が高いと思ったことだった。そして若い業界だったので社員の平均年齢も若く、若いうちから活躍できることも決め手だった。
実際入社してみて、仕事はかなりハードだった。まず人を扱う仕事なのでクレーム対応の量が半端でない。自社の派遣さんの仕事のミスや、欠勤はもちろん、セクハラや派遣先の社員との不倫事件など、すべてのトラブルの矛先が僕ら営業に向いてくる。
それでも業界が成長していることもあり、やればやった分だけ成果がでるので、仕事自体にはやりがいがあった。年功序列なので基本給は低かったけど、成果分はボーナスになるので、新卒社員としては給料は悪くなかった。あまり覚えていないけど、年収は450万くらいだった気がする。別にそこまで高給取りでもなんでもないが、常に預金口座に10万円にも満たないお金でやりくりしていた学生時代と比べると、かなり恵まれた環境であった。
ところが民主党政権になって派遣を規制する方向に走ったり、リーマンショックでの覇権切りなどがあって、業界が一気に縮小。そこから一気に給料は下落。年収にして300万代だった。
僕は初のボーナスで車を買ったりと散財していたため、一気に金銭的に苦しくなった。こうなると友達と旅行に行っても貯金の残高が気になって心から楽しめない。金がないと自信が無くなったりストレスが溜まるものだ。精神的にちょっと厳しかった。
この時は何度も転職しようと思って行動したが、景気も良くなかったこともあり、これは!と思える魅力的な転職先がなかなか見つからなかった。それでも何度か心が揺らいだこともあったが、まだ今の会社の方がマシかな~・・と思って、結局転職はしなかった。
そんな辛い日々を耐え、自民党政権に代わった直後、市場環境は好転。
一気に会社の売上も持ち直してきて、少しずつ給料が回復。その時僕は主任に昇進していたので、基本給も少し良くなってきた。さらに、地道に株の勉強をしたりしていたので、アベノミクスの株の上昇効果のお陰で株の利益で100万近く得る。安倍さんありがとう。
そんなこんなで、退職直前の30歳の時には600万くらいの給料だった。所属部署の成績が好調だったことと、残業しまくっていたので、会社の同期と比べると結構良いほうだったはず。
順調ではあったけど、8年も同じ会社で仕事をして飽きていたことと、正直、人材業界にあまり興味を持つことができなかったこともあり、これ以上同じ会社で仕事を続けることに疑問を感じ続け、頭を悩ませていた。業界も頭打ちだったこともあり、意味のないシェア争いばかりで新しいものを生み出しているような感覚が全く無く、仕事が面白くなかった。
その頃には同期もそうとう辞めていたので、このまま残ればライバル不在で出世もしやすいのは確かなんだけど。。でもこのまま時間を切り売りするのは人生の無駄遣いな気がして、モチベーションがほとんどゼロになっていた。
そんな中、昔登録していたリクルートエージェントから、某有名企業からのオファーメールをいただいた。
「え?マジで?俺でもいけるのか??まったく別業界だけど。。」
と思わず呟いてしまうほど、魅力的なカンパニーネームであった。
自分にはハードルが高いかな~と思って躊躇したのだけど、人材業界で長く働いていたこともあり、面接のノウハウだけには妙に自信があった。そして転職希望先を1社に絞って超綿密に面接対策をしたことが幸いし、何とか内定を獲得。
こうして僕の8年間の人材業界での営業のキャリアは幕を閉じた。
かなり体育会系で労働時間も異様に長く、今思えばブラック業界だったのだけど、20代の修行と考えれば、悪くないキャリアであったと思う。根性と営業力だけは身につけられた。・・ただ、もう2度とやりたくはない。
転職してから現在の話は、また気が向いたら書いてみよう。