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試合に出られない高校球児がチームの為に働くのは美談にしてはいけないと思う

テレビもネットも甲子園の話題で盛り上がっている。

 

この時期決まって話題になるのが、怪我や病気で試合に出られなくても、チームの為に裏方で働き続ける高校球児のストーリーだ。

「打球が見えないんよ」母の前でだけ泣いた 野球諦めた済美の記録員・太陽、涙は流さず(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 

チームの勝利の為に献身的に働く球児のストーリーは人を感動させるのだけど、それって本人の為にも、チームの為にも本当に意味があるの?と思ってしまう。

 

試合に出られない球児が、例えば部活に見切りをつけて、その時間を勉強なり留学なりに身を捧げた方が、将来的には本人の為にもなり、社会の為にもなる可能性が高いように思える。

 

同じように、ブラック企業で働くサラリーマンも、サービス残業に身を捧げるのではなく、他の成長産業に転職して働いた方が、本人の為にもなるし、結果的にも社会にも良い影響をもたらすはず。

 

組織の為、仲間の為に見返りを求めず働くのは美談なのかもしれないが、それによって失われる物も結構大きいと思うんだよね。

 

僕も高校時代にサッカー部にいた時にはあんまり試合に出られなかったんだけど、高校2年の冬に骨折したのを機に部活には見切りをつけて、病院行くふりして受験勉強に全力を注ぐようになって、半年後には偏差値20くらいあがって、学年でも1位取れて、そこそこの大学に入って、人生が大きく好転した。

 

もしもあのとき部活にこだわって、勉強を二の次にしていたら、多分大学にもいかず、地元の小さな会社に就職し、ブスな嫁を貰って、今頃はきっと低収入のうだつのあがらない人生を送っていたんだろうな。。と思って、いまだにゾッとする時がある。

 

あの時部活に見切りをつけたのは、間違いなく僕の人生の最大のファインプレーだったと思う。

 

高校球児もブラック企業の社員も、仲間の為に献身的に働くその瞬間は良いのだけど、その先の将来を見据えた時に本当にプラスなのかは、冷静に考えた方が良いと思う。